琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

 鷲尾光遍作「青鬼踊」原稿   一綴     近・現代    本館蔵

滋賀県では、令和9年度の開館を目指し(仮称)新・琵琶湖文化館の整備に向けて取り組んでいます。同時に、新しい文化館のあり方の参考とするため、琵琶湖文化館の歴史を物語る未整理の書類についても、順次調査研究を進めているところです。

そうした中でこのたび、石山寺第50世座主であった故・鷲尾光遍(わしお こうへん)師が作成した「青鬼踊」の歌詞原稿を発見しました。「青鬼踊」は、石山寺で毎年5月に行われる青鬼まつりの中で、蛍の精と青鬼が酒を飲み交わして踊るもので、唄の作詞を鷲尾光遍師が手掛けられました。長らく踊りは絶えていましたが、2019年の令和改元を祝って復活し、行われています。
原稿が鷲尾光遍師の自筆かどうかについては研究中で、なぜ琵琶湖文化館に残されていたのかも不明です。ただし鷲尾光遍師は昭和34年(1959)、滋賀県立琵琶湖文化館建設後援会発起人代表の一人となるなど、琵琶湖文化館の建設や初期の活動に積極的に関与しており、当館との親密な関係を背景に、伝えられたことも考えられます。故・鷲尾光遍座主の人柄や人物像、琵琶湖文化館との関係などについて振り返る貴重な資料となっています。
(あきつブログ2022.5.13「青鬼踊」原稿発見のナゾ?!)

 ※『鷲尾光遍作「青鬼踊」原稿』は、令和4年(2022)5月14日から6月30日まで、地域連携
  企画展として、大本山石山寺豊浄殿で展示公開されました。

 〇「青鬼踊」原稿内容 【PDFはこちら

・表紙の法量 縦22.5×横17.6㎝
表紙に「青鬼踊 鷲尾光遍作詞」と記す。

・和紙5枚(5丁)の袋綴じ冊子。下記の通り一番から
六番までの歌詞を縦書きに墨書。

 一、



降魔(ごうま)のすがたと なりたまふ
朗澄律師(ろうちょうりっし)の 青鬼は
悪心くじき   福徳を
あたへ給ふも  ありがたや

 二、




 三、



あまたの人の  螢見に
こゝろひかれて 青鬼も
ごづめづ供に  船いだし
螢の宮へ    こぎつきぬ

螢の宮は    奥ふかく
樹々(きぎ)に螢の   花さきて
かゞやく光は  不夜城の
とてもよいとこ よいながめ

 四、




 五、



螢の女王    即昭(そくしょう)が
やさしき心の  もてなしに
心うかれて   青鬼は
かへるをわすれて のみあかす

螢の女王    即昭に
朗澄律師の   青鬼が
さずけ給ひし  
  如意(にょい)の珠(たま)
手にとり見るも うれしきや

 六、





如意の宝珠(ほうじゅ)の 
  ご利益(りやく)で
すがたいよいよ うつくしく
おいどの光りも いやまして
三十日(みそひ)のよはいも ながくなる

                  終

 

※ 朗澄律師(ろうちょうりっし)
(石山寺の学僧:1132~1209)
平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、石山寺屈指の学僧。石山寺の経典や聖教(しょうぎょう=教学や法要などに関する学習ノート)の収集・保存に尽力し、自分の死後は鬼となって経典・聖教類を守ることを誓った。『石山寺縁起絵巻』巻六には鬼の姿となった朗澄律師が描かれている。「青鬼まつり」は律師の遺徳をしのぶために、毎年5月第3日曜日に開催される行事。
※ 鷲尾光遍(わしお こうへん)
(石山寺第50世座主:1879~1967)
華族・三室戸和光の子として生まれ、石山寺で出家。大正8年に親戚筋の鷲尾家を継いで男爵を襲爵するとともに、石山寺座主に就任。勧修寺門跡などを務めて宗教界で重きをなすとともに、社会にも貢献した。
 ※ 滋賀県立琵琶湖文化館建設後援会発起人代表(全7名・肩書は当時)
鷲尾光遍、服部岩吉(元県知事)、岩永巖(東洋レーヨン副社長)、北村孝治郎(滋賀銀行頭取)、小菅宇一郎(伊藤忠商事会長)、山岡孫吉(ヤンマーディーゼル社長)、若村源左衛門(日野町長)


( 井上 優 )