琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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 湖上にお城ができるまで
   昭和35年4月~8月
   昭和35年9月~
昭和36年3月
   開館式

湖上にお城ができるまで -写真アーカイブ-


●●●  昭和35年9月 ~ 昭和36年3月  ●●●



昭和35年9月土台の基礎工事を終えて、いよいよ建物部分の建設が始まります。湖岸に鉄骨を吊り上げる大きなクレーンが登場しました。













県庁前にあった「滋賀会館」のロビーに設置された琵琶湖文化館建設のための募金箱。
県内の企業や個人から多くの寄附金が寄せられました。












9月17日、本館に使用される鉄骨が運び込まれました。クレーンを使って、トラックの荷台から下ろされています。













昭和35年9月19日「立柱祭」(本館鉄骨始建)
が行われました。














9月20日、いよいよ本館の鉄骨を組む作業が本格的に始まっていきます。














10月に入ると、すでに本館の1階と2階部分の骨組みの形が見えてきました。














昭和35年10月2日には、本館の3階・4階部分の鉄骨が組み上がり、徐々に本館の形が見えてきました。













組み上げた鉄骨の上で作業をする人たち。10月9日からは、鉄骨のリベット打が始まりました。

鉄骨にリベットを打つことは、最近ではほとんど見られないそうで、建築工法にも琵琶湖文化館の歴史を感じることができます。










建築中の文化館を琵琶湖側から見ると、まるで湖上の要塞のようです。














本館だけではなく、別館と連絡館の建築も進められ、徐々にその姿を現していきます。














木製の足場を組み上げ、屋根の上で作業をする人達。別館は本館の建築よりも先に進められました。














昭和35年10月30日に、屋根を含む別館すべてのコンクリート打ちが終了しました。














建設中の琵琶湖文化館からの眺望(中央は滋賀県庁)

昭和35年当時、湖岸辺りにこれ程の高さから撮影できる施設は他になく、とても貴重な写真と言えます。











建設中の琵琶湖文化館からの眺望
観光遊覧船「玻璃丸」

その美しさから「琵琶湖の女王」と呼ばれた玻璃丸。昭和26~57年にかけて、大津から長浜港・竹生島・近江舞子港などへ運航し、人気を博しました。









昭和35年11月文化館の建設は夜も進められました。
別館と連絡館が連結しています。














夜中の建設現場で、スポットライトを浴びる本館の鉄骨。まるで、巨大なジャングルジムのようです。














昭和35年11月3日定礎祭が行われました。
それまで「滋賀県観光文化館」として建設が進められていた文化館も、この時「滋賀県立琵琶湖文化館」と命名されました。












本館一階の壁面にコンクリートを流し込む作業員。ここでは女性の姿も。作業は急ピッチで進められています。













コンクリートを打つ工事は、1階から2階へと進みます。レトロな工事車両が時代を感じさせてくれます。














昭和35年11月26日 別館の入口
中で、何かを待ち受ける人たち。入口は妙な形に切れ込みが入っていますが、これは一体?













到着を待っていたのは、大きな壁画です。この壁画は、もとは県庁横にある武徳殿(産業文化館)にありました。
その後、三井寺近くの警察機動隊に保管されていましたが、この日無事文化館に到着しました。












別館入口の大きな切れ込みは、この壁画を中に搬入するたものもの。 クレーン車や台車を使い、多くの作業員の手によって運び込まれました。













季節は11月下旬と寒い頃ですが、手押し車を扱う作業員の方は、上半身裸です。現場の熱気と苦労が伝わる一枚です。













昭和35年11月30日、別館の屋根には滋賀県の県花『シャクナゲ』のつぼみが設置されました。














12月4日、本館のコンクリート打ちも3階部分まで終了しました。













12月初旬に作られた、開館を予告するポスターです。
翌年3月20日のオープンに向けて、着々と準備が進められていきます。













12月13日 別館では搬入された大きな壁画の取り付け作業が進められています。














昭和35年12月18日 壁画安置祭
安置されたのは、杉本哲郎氏が描いた「舎利供養」という壁画です。関係者一同黙祷を捧ています。













本館へは高所での作業のため、コンクリートを運ぶための通路が足場の上に設置されています。この高さと幅の上を手押し車で行き来するのは勇気がいりそうです。













昭和35年12月後半には、4階部分のコンクリートも打ち終わり、本館の形も大分見えてきました。














昭和35年12月28日、年内にコンクリート工事を完了させるため、夜を徹しての作業が進められます。














厳しい寒さにも負けず奮闘する作業員たち。12月30日夕刻に、本館全階のコンクリート打ちが終了しました。














年が明けた 昭和36年1月11日
本館で「上棟祭」が執り行われました。














文化館の棟札は高さが6尺(約180㎝)もある、とても大きなものです。願主の谷口滋賀県知事(当時)をはじめ建設に関わった人たちの名が多く記されています。













文化館のシンボルになっているトンボ。屋上に上る前の貴重な写真です。両羽を広げたその大きさは3メートルもあります。













昭和36年1月22日「蜻蛉上翔祭」を執り行い、トンボが屋上に上りました。

開館当時は夜になると回転しながら眼が光り、灯台の役割も担っていました。

※初代館長が語る「とんぼのいわれ」









昭和36年1月 琵琶湖側から見た文化館
足場に覆われながらも、その姿が見えてきました。














昭和36年2月3日火除けの意味を持つ鴟尾(しび)
屋根の上に設置されるのを待っています。














昭和36年1月30日 正面から見た琵琶湖文化館
別館の足場は撤去され、その姿が出来上がってきているのが、わかります。













5階展望閣に設置される、レトロな形の望遠鏡
観光気分を盛り上げてくれる大切なアイテムです。














昭和36年2月上旬、館の南東にある入口付近で作業をする人とそれを見守る人たち。














上の写真は、定礎石の奥に納める定礎箱を埋め込む作業でした。「壽」と書かれた定礎箱には、何が入っているのでしょうか。













昭和36年2月10日
館内では、むき出しの梁に天井板をはる作業が、進められています。













屋外では、職人たちの手で屋根の仕上げが急ピッチで進められてきます。














昭和36年2月 内池に設置された歌碑
水を引き入れる前の池底で、作業をする人たちと比べると、その大きさがわかります。














前年(昭和35年)の11月下旬に搬入された壁画は別館の壁に設置され、その覆いが今まさに外されようとしています。













昭和36年3月7日 5階展望閣の窓に、真新しいガラスが嵌め込まれています。














3月9日設置されていた作業用の足場も解体作業が進められ、いよいよ開館間近です。














3月10日頃、現在の湖岸道路(県道18号)の道沿い壁面には、展覧会の開催を予告する看板が設置されました。














湖岸道路と文化館の間、前庭の敷地は未だこの状態です。3月20日の開館に間に合いますかね?!














開館前 本館1階に設置された銘板

位置:大津市上平蔵町地先琵琶湖
構造:水中和城様式
工費:一億五千万円
竣開:昭和三十六年三月二十日

と書かれています。
住所が今の大津市"打出浜"とは異なるのも注目です。







文化館建設のために、寄付をして下さった企業や各種団体、個人の名前が残された銘板。

その中には、琵琶湖ホテルや京阪電鉄、逢坂小学校・皇子山中学校など県内の小中学校や、西洋建築で有名なウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の日本名「一柳米来留」の名前などが刻まれています。